アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「園遊会」と象徴天皇制

2018年11月10日 | 天皇・天皇制

     

 明仁天皇が主催する最後の「園遊会」が9日、赤坂御苑で行われました。

 「園遊会」はたんに庭園で天皇とスポーツ・芸能・文化人らが歓談する場ではありません。それは天皇・皇族の権威を誇示するものであり、「天皇元首化」の動きとも密接に関係しています。

 園遊会についての宮内庁の公式な説明はこうです。

 「園遊会は,毎年,春と秋の2回,赤坂御苑で催されます。
 天皇皇后両陛下は,衆・参両院の議長・副議長・議員,内閣総理大臣,国務大臣,最高裁判所長官・判事,その他の認証官など立法・行政・司法各機関の要人都道府県の知事・議会議長,市町村の長・議会議長,各界功績者とそれぞれの配偶者約2,000人をお招きになって,親しくお話しになっています」(宮内庁HP)

 今年春(4月25日)の園遊会に招待者されたのは、「立法・行政・司法関係者、在日外交官等 1745人、各界功績者 754人」(同HP)でした。
 宮内庁のHPには書かれていませんが、「各機関の要人」の中には自衛隊の統合幕僚長も入っています。

 園遊会は、天皇が首相、衆参両院議長、最高裁長官ら「三権の長」、国家機構の要人、全国地方自治体の首長、さらに「国民」の中の「功績者」を「招待」する形で一堂に集め拝謁させる場です。

 それは天皇が日本の「要人」のすべてを束ねる超越した存在であるかのように見せるもので、天皇を「国家元首」視するものと言えるでしょう。

 その園遊会の性格・狙いは、歴史的経緯をみればよりはっきりします。

 園遊会の前身は、明治政府が始めた「観菊会」(第1回1880年11月18日)、「観桜会」(同1881年4月26日)です。

 「明治十二年(1879年)九月に外務卿に就任した井上馨は、日本が欧化して列強に安心感を与えることで条約改正を達成することを課題とした。明治十年代後半から本格化する欧化主義の時代、鹿鳴館時代である。来日する外国人や外国公使へ欧化を示すことが必要であり、明治十四年(1881年)八月五日には外賓接待略規を定めていた。そして井上は、天皇皇后が出御し立食パーティーを行う観菊会・観桜会と、新年宴会・紀元節宴会・天長節宴会の三大宴会に、外交官を招待することも企図した」(西川誠著『明治天皇の大日本帝国』講談社学術文庫、2018年)

 観菊会、観桜会は条約改正のための欧化主義の一環として、天皇の権威を外国公使らに示すものだったのです。

 戦争で中止になった観菊会、観桜会が戦後、園遊会として復活したのが1953年です。この年に園遊会が始まったのには意味があります。その前後に起こった主な出来事を挙げてみましょう。

1950・6 朝鮮戦争勃発
   8 警察予備隊発足
1951・9 サンフランシスコ「講和」条約・日米安保条約調印
   10 国民体育大会に天皇初出席(「三大行幸啓」の1つ)
1952・4 サンフランシスコ「講和」条約・日米安保条約発効
   4 全国植樹祭に天皇初出席(「三大行幸啓」の1つ)
   5 全国戦没者追悼式に天皇初出席
   10 保安隊発足(警察予備隊改組)
1953・7 朝鮮戦争休戦協定
   11 園遊会開始
1954・7 自衛隊発足

 「日本再軍備以降の天皇(制)利用は、一九五三年のイギリスのエリザベス女王の戴冠式に皇太子(現明仁天皇―引用者)を送ることから始まった。…天皇は、まず国内で、非政治的な装いのもとで、きわめて政治的に、国民体育大会全国植樹祭全国戦没者追悼式に出席し、象徴的権威を示威し、五三年十一月からは、天皇主催の園遊会が開始され、たいていの招待者は、天皇に『どうですか?』『あっそう』と声をかけられただけで、硬直人間と化し涙をながす―ようになった」(牛島秀彦著『昭和天皇と日本人』河出文庫、1989年)

 さらに、自民党の前身の保守政党による改憲策動がこれに重なりました。改憲の主要な柱は「天皇元首化」でした。

 「保守政党は一九五四年にそれぞれの改憲案を発表した。そこでの天皇の扱いは前述の通り天皇を元首とするとともに宣戦講和の権限を含む国事行為の追加によって天皇の権限を強化しようとしていた」(藤原彰・吉田裕・伊藤悟・功刀俊洋著『天皇の昭和史』新日本新書、1984年)

 園遊会はスポーツ・芸能・文化人らを巻き込んで、無意識のうちに天皇・皇室の権威を「国民」に刷り込む役割を果たしています。

 そして戦後、園遊会をはじめさまざまな仕掛けで天皇を権威化し、天皇元首化が再軍備・軍拡、改憲と三位一体で結び付けられました。その歴史が、いま繰り返されようとしています。

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